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投稿日:2011年05月07日

淡雅の足跡を辿って~奥鬼怒温泉郷【さのや歴史講座 17】

奥鬼怒四湯と呼ばれる山奥の温泉郷があるのをご存知でしょうか。栃木県は那須火山帯に属しており、那須、塩原、鬼怒川、川治などの天然温泉に恵まれています。その中でも秘湯とも言えるのが、湯西川温泉、川俣温泉といった福島県、群馬県境にほど近い温泉地になります。

奥鬼怒温泉郷は、男体山の裏側、川俣温泉から更に12kmも奥まったところにあります。 

 


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女夫渕(めおとぶち)から先の、奥鬼怒スーパー林道は、自然保護のため一般車の通行は禁止されています。県営駐車場に車を乗り捨てて、徒歩で奥鬼怒遊歩道を歩いて行くか、宿泊者であれば、旅館の送迎バスで奥鬼怒温泉を目指すことになります。徒歩での行程は鬼怒川渓流に沿って軽い登り道で、ゆっくり歩いても1時間30分ほどの比較的楽なハイキングコースです。鬼怒川渓流に掛かる橋を何度か渡り、渓流を左右に眺めながらのハイキングは快適です。

手白沢温泉、八丁の湯、加仁湯、日光沢の4つの温泉が奥鬼怒四湯です。この中でも、日光沢温泉は昔の湯治場の面影を残し、泊まるのにちょっと躊躇しそうな大変鄙びた宿です(下画像)。 

 

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 さて、本題に入りますが、この奥鬼怒温泉は嘉永4年(1851)佐野屋の菊池孝兵衛(淡雅)が再開発したことが「淡雅行実」という書に記録されています。以下、簡単に内容を訳します。

「日光沢というところは日光山より奥に入ること12里(48km)で、男体山の背後にあたる。近年、この地に温泉を発見したが、深山の不便な地のために、設備を整えることもなく掘っ立て小屋のようなものがあるだけであった。それでも奇功の多い霊泉という噂が広まって、湯治に尋ねる人が絶えない。

日光沢の手前3里(12km)には川俣温泉があって、ここには湯守がいるのだが、設備も荒れ果てて粗末なものである。川俣温泉でさえこのような様子である。ましてや、その奥の日光沢というところは、道のような形跡があるにはあるのだけれども、とても険阻な道で、途中鬼怒川の水源を8回も渡らねばならないので、万一大雨にでもなれば、帰り道が塞がれるのを怖れて、行きたくとも行けない人が多いという。 

 

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(鬼怒川源流の渓流)

 

多くの人が温泉の効能を享受できればと以前から心にかけて果たせなかった淡雅は、嘉永45月に息子の教中と佐野屋従業員の源兵衛を伴い現地調査に訪れる。そこには、2間×5間(10坪足らず)の根小屋のような建物があるのだったが、入り口や窓も大変小さくて、火炉が一つあるだけ、トイレさえもなく、部屋の隅に糞尿があったりするような汚さであった。淡雅一行は数日間その地に滞在して、地形などを隈なく観察した後川俣に戻り、温泉経営について協議した。

その結果、約15坪ほどの長屋を建設し、部屋を3部屋に区切って、各部屋に火炉を置き、畳を敷き詰めて、戸や障子を立て、トイレや流し場も設ける。脱衣場もなかった浴場には、新たに脱衣場と屋根を作って、湯殿も新しく作る。アクセスに関しても、温泉場までの3里の道を開いて歩きやすくし、鬼怒川には洪水でも流れない頑丈な橋を架けることになった。

施工を里正(川俣部落の長)と川俣温泉の湯守に託し、費用を渡して帰った。翌年には工事も完成して、淡雅も視察に出かけると、思った通りに出来上がっており、村民や旅客は大変喜んだということである。

この2年後に淡雅は病没したが、これを伝え聞いた川俣部落の人々は、淡雅の死を悼み、その名を小板に記して、みなが集まって念仏を唱えたということである。517日に亡くなったのが、その月の26日には早くもあのような山中に伝わったということは、当時としては驚くべきことであった。」

(全文はこちらhttp://home.f07.itscom.net/rainbow/spa_kaihatsu.html ) 

 

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(淡雅開発の当時を思いながら、奥鬼怒への道を辿る)

 

奥鬼怒4湯はすべて源泉掛け流し、混浴露天風呂を含め、それぞれに様々な風呂を楽しむことができます。普通の旅館を希望ならば、一番大きく、5本の源泉を持ち、設備も整っている加仁湯がお勧め。ここは、小松さんというマタギのご子孫が経営していて、奥鬼怒の案内本も出版しています。 

 


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(加仁湯の玄関、鉄筋造りに瓦屋根が珍しい)

 

いくらか野趣をお好みの方には、八丁の湯がお勧めです。広々とした空間に天然の滝を間近に眺めることのできる、「滝見露天風呂」は今まで行った温泉の中でも最高。ただし、混浴ですので、ご婦人方は深夜にこっそり入浴ということになります。宿は木造の本館と別に、ログハウスもあって家族連れに喜ばれているようです。ただし、テレビとかLANなどとは縁のない裸電球一つの世界です。携帯は何とか繋がるようです。

 


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(八丁の滝見露天風呂)

 

奥鬼怒の魅力は温泉だけではありません。温泉を基地に、鬼怒川の源流を辿ると、国内で最も高地にある湿原の一つ、鬼怒沼があります。標高2040mの沼地は別天地で、春や秋には高山植物が咲き乱れ、また、日光白根山や群馬県・福島県の山並みが望める絶景です。ただし、ここへ行くには徒歩しかありません。奥鬼怒温泉から往復で7時間、標高差700mの登りは険しい山道を歩かなければなりません。 

 


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(鬼怒沼湿原、右端、今は亡き八丁の登山犬チビ)

 

 「まんが日本昔ばなし」に登場する「奥鬼怒の機織姫」は、この湿原が舞台になっています。

また、「鬼怒の中将乙姫伝説」ではこの湿原は「天空の竜宮城」とされています。

鬼怒川の伝説 詳しくは、こち

 

淡雅による佐野屋の江戸進出から数えて、今年はちょうど200年になります。現在の大塚の地へ出店してから89年。歴史の重みを感じながら、新しい時代の質屋にチャレンジするさのやです。

 

 

◆商品数21,000点、東京都豊島区大塚の質屋さのやのホームページはこちら

 

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