2024/03/19

-今日の金・プラチナ買取価格-

※手数料一切無し

(金の本日の買取価格)
K18
¥8,420(+20)前日比
(プラチナの本日の買取価格)
Pt900
¥4,260(-90)前日比

買取・販売お得なキャンペーン

質と買取どっちがお得?
さのやならお客様に合わせてご相談させて頂き
買取か質かをお選びいただけます。

東京の質屋「さのや」の、質預り・ブランド品買取、金買取は高査定、更にお得な買取クーポンもあります、宅配買取は、宅配買取キット無料でお送りいたします。お気軽にLINE査定もご利用ください、電話での査定の相談もお気軽にご利用ください。質屋の貸付・ご融資も高査定です。金買取も毎日高価買取中です、手数料などは一切頂きません。ブランド品、時計、バッグ、宝石、衣類、古着、雑貨、アクセサリーの販売は、カードも現金もポイント還元中。免税販売(Tax-Free)大歓迎!更に60回無金利にもポイントが付きます、今月の「さのや」は、お客様にとって凄くお得な月です、新規商品、お買い得品をどんどん掲載いたします。質預り(質契約)と買取、販売の「さのや」は、東京都 JR池袋駅の次の駅の大塚駅に大塚駅前店、大塚本店、巣鴨駅前に巣鴨駅前店(東京都・豊島区・北大塚)

質契約について取り立てのない安心な貸付です

三ヶ月以内に返済

利息を入れて期間延長OK!

品物質流れ(返済も利息もない場合)

■東京の質屋「さのや」の初めてのご利用について
 まず何か品物をお持ち頂き、その品物を預けていただくことで、お金をお貸しします。最初は必ず身分証明書(車免許証・マイナンバーカード・健康保険証等)をお持ちください。返済期限は3ケ月、期限までに元金と利息をお支払いいただくと、品物は、お手元に戻ります、期限迄に返済しない場合は、「質流れ」となり、品物の所有権は質店に移り、その代わりお客様は元利金のお支払いは一切必要がございません、流す場合は連絡の必要なく、契約は完了。
 このような質屋特有の仕組みが、永く庶民金融として生き続けた理由だと思います。更新・期限延長も出来ます。又事前にお店に、品物について、貸付できる金額、又利率等の問い合わせを、お勧めします。なお質店は買取も積極的に行なっています、仕組みは簡単で、品物を売り、代金を受け取り、それで完了というシンプルなものです。質預り(質契約)は、品物は手放したくないが、当座のお金が必要なときの便利な仕組みです。
 質預り(質契約)は来店のみ、買取は来店はもちろん簡単・便利な宅配買取もご利用いただけます。無料の宅配買取キット、査定アップクーポン、LINE査定もございますので是非ご利用ください。店舗は東京都豊島区大塚。

■返済のための最短期間は質入れ当日から3ヶ月以内となります
 この期間内に貸付元金と質料(利息)をお支払い頂ければ品物をお返しします。 利率は月利1.2%~8%(年利14.4%~96%)です。
20万円以上の貸付の場合、半月割引がございます。 貸付額が多いほど利率が低くなる段階制になっています。 3ヶ月の貸付期限が来た時は、質料(利息)のみをお支払い頂き期間の延長もできます。この延長については繰り返し何度でもできます。 元金および質料(利息)以外にかかる手数料等はありません。

【返済例】
1.)金のネックレスで10万円を借りて、1ヶ月後に返済した場合の利息は5千円です。元金とあわせて10万5千円でお品物を受け戻せます。
2.)ブランドバッグで20万円を借りて、1.5ヶ月後に返済した場合の利息は1万4千円です。元金とあわせて21万4千円でお品物を受け戻せます。
3.)ダイヤモンドで1000万円を借りて、2ヶ月後に返済した場合の利息は24万円です。元金とあわせて1024万円でお品物を受け戻せます。

質契約の流れはこちら

「さのや」のサービス

店舗紹介

さのや本店
〒170-0004 東京都豊島区北大塚3-33-9

 

TEL/0120-784-784 / 03-3949-8111
AM10:00~PM7:00(日曜定休日)

大塚駅前店(買取・質)
〒170-0004 東京都豊島区北大2-6-13チコービル2F

 

TEL/0120-783-517 / 03-3949-7723
AM10:00~PM7:00※年中無休
(日曜日 AM10:00~PM6:00)

巣鴨駅前店(買取・質)
〒170-0002 東京都豊島区巣鴨2-9-5
若杉ビル2F
TEL/0120-783-153 / 03-6903-7887
AM10:00~PM7:00※年中無休
(日曜日 AM10:00~PM6:00)

駅前店
〒170-0004 東京都豊島区北大塚2-12-1叶ビル
0120-555783
(フリーダイヤル利用できない場合)
03-3949-0888
AM10:30~PM6:30(日曜定休日)

ジュエリーJ&B
〒170-0004 東京都豊島区北大塚3-33-12 1F
0120-783375
(フリーダイヤル利用できない場合)
03-3949-3111
AM10:30~PM6:30(日曜定休日)

さのやJ&B
〒170-0004 東京都豊島区北大塚2-12-1叶ビル
0120-555783
(フリーダイヤル利用できない場合)
03-3949-0888
AM10:30~PM6:30(日曜定休日)

ブティックJ&B
〒170-0004 東京都豊島区北大塚3-33-12
3F
0120-296783
(フリーダイヤル利用できない場合)
03-3949-6014
PM12:00~PM6:30(日曜定休日、祝日営業)
ネット販売、お問合せは従来通り10:30~

バーゲンホール
〒170-0004 東京都豊島区北大塚2-12-2 2F
0120-783533
(フリーダイヤル利用できない場合)
03-3949-7752
AM10:30~PM6:30(日曜定休日)

デポバンド
〒170-0004 東京都豊島区北大塚3-33-12 2F
0120-784375
(フリーダイヤル利用できない場合)
03-3949-8185
PM12:00~PM6:30(日曜定休日、祝日営業)
ネット販売、お問合せは従来通り10:30~

LVモノグラム館プラス
〒170-0004 東京都豊島区北大塚2-12-2 2F
0120-783533
(フリーダイヤル利用できない場合)
03-3949-7752
AM10:30~PM6:30(日曜定休日)

店舗案内一覧へ

都電の町大塚

「さのや」のある東京都豊島区の大塚には、都電荒川線が走っています。愛称として「東京さくらトラム」都内で唯一の都電です。区間は、早稲田から池袋駅の横の目白を通って、大塚、王子、三ノ輪の間12.2キロ、30停留所があります。その停留所の中で大塚駅はJR大塚駅とも繋がり、一番大きな駅になります。
 また1974年に恒久的にこの都電は存続が決まっています。戦前は、池袋より大塚のほうが栄えていたと、今では信じられないでしょうが、大塚南口を支点に、数多くの都電が出て都電の町大塚でした。1955年ごろは、都内には213キロ、40系統あったと言います。大塚南口には大塚三業と有名な花町もありました。芸者さんも数百人いたと聞きます。ちなみに令和3年現在は芸者さんがひとりと聞いています。北口にはすでに取り壊されましたが、白木屋デパートもありました。
 今の都電は、昔の山吹色1色ではなく、カラフルで個性的なデザインの車両が沢山で、見ていても楽しいものがあります。このコロナが落ち着いたら、久しぶりに大塚から乗ってみようかと思っています。皆様もいかがでしょうか。  さのや 菊池

都電の町大塚

質屋さのやの歴史ご紹介

質屋さのやのルーツを辿る

質屋さのやは、大正11年(1922年)11月、本所石原町から東京大塚の地に分家し、質屋を構えて99年目を迎えました。ほぼ1世紀にわたり、大塚の地で庶民金融を営んで来た歴史を持つさのやですが、そのルーツを辿ると、さらに時代をさかのぼり江戸時代に活躍していた記録が残っています。

質屋さのや -「佐野屋」屋号の由来 –

佐野屋の屋号は江戸時代から今日まで、質屋の名称としてずっと使われてきました。屋号の由来は、嘉永7年(1854年)に成立したと考えられる「菊池家中興の系図」によれば「元祖は塩を商いしよし。・・・元祖は何の頃宇都宮に移り住しにや、元は佐野より出たる人のよしなり」とあり、出身が栃木県佐野であったことから、屋号の佐野屋を名乗ってきました。

「菊池家中興の系図」は、菊池家第四代目から第十一代目までの家系と分家、別家について編年体で記録されています。著者については記載がありませんが、佐野屋佐孝店二代目菊池教中(1828~1862)であろうと類推されます。

質屋さのやの起源

佐野屋の勃興については、明和年間の大火事によって記録が焼失してしまったため、第四代目以前については不明です。「此の前三代は皆長四郎を以て称とす、また先祖何代ということを知らず。その故は明和年中の大火に菩提所も共に類焼して系図等尽く焼失せしにぞ」(「菊池家中興の系図」より)

記録の残っている最古の人物が菊地長四郎孝昌で、徳川幕府第四代将軍家綱の時代、承応4年(1655年)の没年です。この人より本家が振興したとあります。栃木県宇都宮で古着の商いと質屋を営業していました。この後、第七代目菊地治衛門(1690~1748)になって、大阪方面まで出向いて古着を売買するようになり、中興の大功を収めました。

この頃より、分家・別家による各地への出店が相次ぎ、第十代目治衛門孝古(1776~1814)の時には10店舗に拡大し、さらに江戸日本橋や千葉佐原など栃木県外にも進出するようになります。宇都宮の佐野屋菊地治衛門家=佐治を本家として、日本橋の佐野屋孝兵衛家=佐孝、佐原の橋本文蔵家=司店、江戸下谷車坂の吉田丹兵衛家=佐丹と3つの大店が中核となって、佐野屋が大きく発展して行くのが江戸時代も中期を過ぎた文化年間(1800年頃)になります。

質屋さのやの歴史 - 江戸出店 –

栃木県宇都宮に本拠を置く佐野屋が江戸に進出出店したのが、今からおよそ200年前の文化11年1月(1811年)のことでした。大橋知良は第十代目菊池治衛門孝古の長女民子と養子縁組して菊池家に入り菊池長四郎を名乗りました。

日本橋に出店した佐野屋は、栃木県の真岡木綿を取り扱うことで、飛躍的に業績を伸ばして、白木屋、大丸屋、越後屋などと肩を並べる白子組問屋仲間の一員となりました。また当時の文人画家、椿椿山や渡辺崋山などとの交流、高久靄崖父子への資金援助などを通して、日本画への造詣や収集、鑑定なども手がけました。

日本橋初代の淡雅が嘉永6年になくなると、二代目の教中は、黒船来航による江戸の混乱や安政大地震による損害を機に、宇都宮に戻って鬼怒川沿岸の新田開発などに商売の転換を図ろうとしました。また一方、姉の夫で儒者の大橋訥庵を中心とした、宇都宮を中心とする尊王攘夷運動に加わって資金的な黒幕となり、後に坂下門外の変に連座して幕府に捕縛されてしまいます。地震による損害や、新田開発の費用、獄中への支援と助命嘆願運動などで、多大な資金を費やすことになりました。教中は許されて半年後に出牢することができましたが、出牢後まもなく亡くなってしまいます。

質屋さのやの歴史 - 江戸から明治へ –

三代目の菊池長四郎政隆は、幕末に起こった佐野屋の存亡の危機を、古くからの手代たちの手助けも得て乗り越えました。教中の新田開発を完成させ、幕末から明治へと世の中が近代化するのに対応して、近代資本家として銀行や繊維会社など多数の会社の役員となり、商売の転換に成功しました。

三代目の時に、妹の久子に宇都宮本家筋から婿を迎えて、本所石原に質屋を出店します。本所の佐野屋は質屋としても規模が大きく、東京の質屋番付で上位に数えられていました。

明治から大正にかけて、日本橋と本所で順調に発展して行った佐野屋ですが、大正12年の関東大震災で、ともに大きな被害を受け、本所の佐野屋は家屋敷ごと焼失、日本橋佐野屋も被害を回復することが難しく、昭和2年には閉業のやむなきに至っています。 大塚の佐野屋は、関東大震災の前年、大正11年11月に、本所佐野屋から分家して大塚に出店しました。本所、日本橋が壊滅的大被害に遭ったのに対して、大塚佐野屋は幸い大した被害もありませんでした。

太平洋戦争末期に空襲で大塚も焼けてしまいましたが、終戦とともに再興し今日に至っています。

中古ブランド品販売のパイオニア

1990年代の初めに現社長のもと、質屋の質草としてのブランドバッグ(ルイ・ヴィトン、エルメスなど)を早々に取り入れ、ブランドバッグの鑑定法を早くから研究開発してきました。1995年頃に北は北海道から南は九州まで全国の都市を回り、のべ2000人以上の質屋さんやその子弟に「ブランドバッグ講習会」という場を設けて、鑑定法や取扱方法について講習を行ってきました。

「さのや」はこうして、常に質屋として、中古ブランド品の販売のパイオニアとして、社員全員がチャレンジしています。この「さのや」のホームページも大きなチャレンジのひとつです。しかしその一方、庶民金融としての質屋の発展も忘れてはいません。国内有数の宝石鑑定機関から講師を招き年間を通じて社員研修に力を入れて、人材養成に努めています。こうして現在も全国でトップグループに入る質屋営業を続けています。

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